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愛と勇気と缶ビール

ふしぎとぼくらはなにをしたらよいか

僕のOS遍歴

まぁ誰も興味はないだろうが、なんとなく書き綴るもまたよし。


大学4年で研究室に入ったころは、Windowsしか触ったことがなかった。研究室のワークステーションSolarisであった。当時の僕にとって、Solarisとは「使いにくいだけの何か」だった。

就活で箔をつけるためにアメリカはメリーランド州の伯母の家に一ヶ月ほど滞在した際に、伯母の会社のシステム管理者に紹介してもらった。彼はデスクトップ環境としてUbuntuを使っていた。「君の研究室ではSolarisを使っているのか?SolarisはいいOSだ」と彼は言っていた。

日本に戻った後、家のWindowsをUbuntuとのデュアルブートにして、なんとなくUbuntuに触るようになった。

研究室の同期に好き者がいたので、「Ubuntuはでかいし、ちと重い」ということから、Ubuntu派生でウィンドウマネージャにOpenboxを採用しているCrunchBangというディストリビューションを使うようになった。この辺りで、研究室貸与のLet's noteもCrunchBangとWindowsのデュアルブートにした。時々、Windowsが起動できなくなってヒヤっとするような場面にも出くわした。

この当たりで、富士通の安いサーバ機を買って、そちらにはCentOSを入れた。当時はなぜかXenを入れて複数の仮想OS (CentOS, Debian含む) をホストしていた。このマシンには、後にFreeBSDを入れてファイルサーバにした。FreeBSDを入れたのは、Solarisから移植されたZFSを試してみたかったからだ。


研究室を出る、つまり大学院を卒業する頃、「社会人になるのだから自分用のノートPCを買おう」ということでネットブックを買った。これは今思えば全く不要だった。ネットブックは確か16GBくらいのSSD搭載機で、僕はより軽量で柔軟なディストリビューションが必要だと思った。Gentooも検討したが、面倒だったのでArch Linuxを入れた。Arch Linuxもそれなりに硬派なディストリで、基本的なtool群およびXを入れるところから始まって、色々なものを自分で構築していく積み木のような楽しさがあった。ウィンドウマネージャには、CrunchBang期の後半から使っていたawesomeを採用した。

Arch Linuxは素晴らしかった。パッケージマネージャで、FirefoxのBetaやAuroraまで入れて管理できるのだ。Ubuntuに比べて、公式レポジトリおよびユーザレポジトリ(AUR)の充実具合が半端なかった。

Arch Linuxを使い始めて以降は、パッケージのアップデートによってウィンドウマネージャが立ち上がらなくても「まぁ、そんなこともあるよね」と対応するようになった。面倒なものは面倒だが、エッジを追うならば不安定というリスクは受け入れざるを得ない。

就職後、デスクトップもArch Linuxに入れ替えた。この時点でサーバ機にはFreeBSDが入っており、比較的硬派なラインナップになっていた。


今は、デスクトップにはMac mini、ファイルサーバには市販のReadyNASを使っている。理由は、自分で色々管理するのが面倒になったからだ。