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ふしぎとぼくらはなにをしたらよいか

不便な生活をしていたことは、便利になってみるまで分からない

Panasonic 無接点充電パッド ChargePadチャージパッド ブラック QE-TM101-K

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これを買いました。結論から言うと、すごく便利。

充電したければ、これの上に携帯をポンと置くだけ。今まで毎日毎日、「充電プラグを携帯に差し込む」という動作をしていたのが馬鹿みたい。あれ、よく向き間違えるしね。

僕がこれを会社で使っていたところ、「それって要るの?(今まで通り)毎回プラグを携帯に差してもそこまで不便じゃないだろう」という意味のことを言われた。

これを買う前の僕も、実はそう疑っていた。携帯を充電するために毎回プラグを差し込むのってそこまで不便か?置くだけで充電できるのって、本当に便利なのか?

実際こういうのって、買って使ってみるまで分からないんだよね。頭の中で想像して、「これ便利か?」「今までのこれってそんなに不便か?」みたいなことを自問してても永遠に分からないし、得るものもない。どうせ4000円程度のものなんだから、ダメでもともと、とりあえず試してみればいい。それで生活が便利になればめっけもんだ。

自分が不便な生活をしていたことって、便利になってみるまで分からないんだ。スマートフォンが流行り出したころにも、「なんだこんなもん、ガラケーで十分便利じゃないか」と思っている人はいただろう。でも、スマートフォンの便利さに慣れきってしまった僕らにとっては、ガラケーは圧倒的に不便だ。スマートフォンを試さず「これでいい」と思ってガラケーを使い続ける人、その人は自分が不便な状態にいることに気づけない。より便利なものがあることを知らないから。ただ、周りだけが進歩していく。

不便な状態に慣れて、「手をかけてやるところがいいんだ」とか「自分の手でやることに意味がある」とか言い始めると、もっと危険だ。不便なものを愛するのは、病気だ。もっと優しく言うと、老化の始まりである。

今の僕らは、充電をするために置くのではなく、置いたついでに充電する。ここまできた。これからは、「携帯充電しないとなー」なんて思うことはなくなり、気がついたら充電されている。そんな便利な未来がいいなあ。