愛と勇気と缶ビール

ふしぎとぼくらはなにをしたらよいか

文章のありか

自分のblogの記事がRSSに流れてきて驚いた。だから何だ、というわけではないが。

おなじ文章でも、PCで読むのとスマートフォンで読むのではやはり印象が違う。スマートフォンでも、ブラウザで個別記事を読むのとRSSリーダーの中で読むのでは違っている。

文章を書くことにしてもそうで、パソコンで書くのとスマートフォンで書くのは違っている(今これはスマートフォンで書いている)。当然、紙にペンで書くとまた違った文章になる。紙に書くのとパソコンのキーボードで打つのは全然違うのだ、というのを僕は奥さんとの交換日記で学んだ。

こうした違いを理解しない人も世の中にはいるのだろう。そうした人はおそらく人間の頭の中に不変の「表現したい内容」があって、それを書き出すのだから媒体が何であっても同じ文章になるはずだ、という貧しい見方をしているのだろう、と僕は勝手に想像する。

人間が言語を使ってそこにある内面を表現するのだ、というナイーブなものの見方はある時代に一旦否定され終わりを迎えたのだけど、その前時代に留まっている人はやはりいて、それ自体が悪いということはない。新しい考え方が常に正しいわけではないし、それを知っているから偉いわけでもない。

ただ、ものごとの機微に明らかに鈍感な人というのはいて、それを指すのに貧しいという言葉を使うことはある。