愛と勇気と缶ビール

ふしぎとぼくらはなにをしたらよいか

結婚しました

おめでとう乞食ではないです。

別にネット上の誰がいつ結婚しようと知ったこっちゃないわというのが人情としては当たり前だと思うので、敢えてブログなどに晒す必要もないかと思いつつ、少し思う所があったので。

結婚式というのはまことにお金のかかるイベントなので、「そもそも結婚式はやらない」「スマ婚などで安く済ませる」というのも全然アリだと思っています。僕はたまたま今回やりましたが、個人レベルの経済合理性だけで言うなら全然やらない方がいい、その分のお金を貯蓄に回した方がいい、という意見には頷けます。自分がやったこと、やってきたことについて「やっぱ◯◯はした方がいいよー」みたいなことを言うのはバイアスかかってて安易だなーと思っているのもあいまって、身近な人に「結婚式はやっぱした方がいい」なんて気楽にアドバイスをすることは未来永劫ないと思います。

それじゃーなんでお前は結婚式やったんだ、というと、それは流れです。流れというと何ですが、そこまでの「絶対結婚式とかやりたくない!」という気持ちも、「結婚式したい!」という気持ちもないままでいたら結婚式をやる運びになっていた、ということです。

で、結果から言うと、やってよかった、と思いました。

何が良かったかというと、両方の家族に喜んでもらえたからですね。僕が結婚式をやって分かったのは、「結婚式は自分のためにやるんじゃなくて、親族のためにやるもんなんだな」という割と当たり前のことでした。

先ほども書いたように、個人レベルの経済合理性や価値観のみで判断するなら、結婚式というのはまことにナンセンスなイベントです。大金払ってわざわざ疲れに行くようなもんです。

個人の枠を超えて考えるなら、それは親族のためにやるものなので、親族の中にどうしてもこの人には祝ってもらいたい、という人がいるなら、結婚式はやった方がいいでしょう。というのが僕の今の判断です。

僕の父方の祖母は、子供の頃から「◯◯の結婚式まで生きとれったらいいわいね(結婚式まで生きていられたらどんなにいいだろうか)」と言ってくれていましたが、一時は病に倒れて、あわや、という事態にもなりました。しばらくの後に持ち直し、今はあと数年なら大丈夫かもしれない、という状態です。妹も少し前に結婚し、さらに今回僕の結婚式に祖母が参加できた、というのは、まこと天の配剤というべき喜ばしいことでした。この祖母のためだけでも、結婚式をやる価値はあったと思っています。

もちろん、こうした祖母がおり、こうした事情があるというのは、僕個人に限った話です。祖母が他界されている方もおられるでしょうし、あるいは祝ってもらいたい、喜んでもらいたいというほどの間柄ではない、という場合もあるでしょう。これは、「個人の価値観」「個人の経済観念」と同様に、一個人の事情です。

そのため、この個人的な事情をもって、誰彼なく「結婚式はした方がいい」と勧めることは出来ません。祖母を喜ばせたいというのも個人の事情、結婚式はしたくないというのも個人の価値観。いずれも日本語で言うと個人という言葉が入りますが、片方を辿ればやることになり、もう片方を辿ればしないという結論に行き着くのは、不思議なものだなあと思います。

現在は個人の時代だと申します。個人の能力、個人の可能性、個人の価値観にフォーカスした時代であります。

そういった時代背景から言えば、親族のためにどうの、というのは時代遅れのナンセンスに他ならないのですが、僕という一個人の事情を突き詰めていくと、そこでは結論が逆転してしまうのでした。

個の追求ということが、単に自分一人の価値観の追求、悪い言い方をすればエゴの追求となってしまいがちなことに、個人の時代と呼ばれるものの貧困の本質があるのではないかと思います。

だからといって、別にそういう価値観が悪いというのではありません。一番最初に書いたように、「あり」だと思っています。個人や個という言葉は一面的に捉えられがちですが、その中にも幅があり、膨らみがあり、それを見逃してものを考えるとイメージだけの思考になってしまう、ということなのであります。

漫画で読む名作文学

罪と罰 (まんがで読破)

あらゆるものには賛否両論があり、それは別に文学作品の漫画化に限った話ではない。

どんな名作を誰が漫画で読もうと一向に構わないが、あらすじやストーリーを把握すること、言葉としての情報を単に自分の脳にインプットすること、それが読書であると勘違いしている人間が増えるくらいならあらゆる文学作品は死滅した方がマシである。

僕は権威主義的な人間だ。ラノベなんぞを読んで「読書が趣味です」なんて言うやつは許し難い。

権威主義すらなくして何が人間か。

アナ◯と雪の女王

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アナ◯と雪の女王とか含めて、自分がディズニーとかの3D映画を全く観る気になれないのは、やっぱり映画っていうのは生の人間を観にいくもんだ、と思ってるからなんだろうな。何が「ありのーままでー」だよ。死ねよ。みたいな。

どれだけ綺麗な映像が見れるとしても、一切人間の出てこない自然だけを写した映画とか、全然観る気がしないだろうな。だってそこには人生がないもの。

Facebook

何だか分かるような気もするけど今の自分にそれをいいね!する資格はないとか、曖昧な言葉の上での共感をしたくもないしされたくもないとか、そういった人の廉恥心や潔癖を超えたところにフェースブックは成立しているしそれで全然構わないのである。

YAPC::Asia 2014で "strace for Perl Mongers" というタイトルで発表しました

ついでにスライドもあげておきました。

あげるのが遅くなったのは、体調が悪くて家に帰って寝てたからです。スイマセン。

スライド自体は hakimel/reveal.js · GitHub で作ってて、こいつにはpdf印刷向けのcssがあって普通に印刷できるはず…なのだけど、出力した結果、文字が実際の発表時よりもなぜか全体的に上に寄っています。まあ、ご愛嬌ということで。

割とデモをがっつりやった&スライドに書いてないことを結構喋ってたので、スライドだけだとよく分からない部分が多いかもしれません。


全体としては、以下のような反省点があります。

  • 時間余らせちゃうとあれだよなーと思って内容を盛っていったら普通に40分オーバーしてしまった
  • それに伴って、ツールの使い方の紹介だけじゃなくて、アプリ開発者が普段あまり目をやらないレイヤに興味を持つための入り口としてstraceを紹介したかったのだけど、あんまりその辺について喋ってる時間なかった
  • リアルタイムのデモはやっぱり手がもつれたりするので、録画とかにしておけばよかった

などなど。40分の発表って実は初めてだなー無謀だったかなーと色々心配してましたが、破滅的にグダグダにはならなかったからまあギリギリセーフかな…と思います。


見に来て下さった皆さん、そしてYAPC運営に携わって下さっていた皆さん、ありがとうございました。

無料のサービスって怖い

最近、Tumblrで「Googleであなたが調べるとき、Googleもまたあなたを調べているのだ」というテキストを見た。とてもオシャレ、かつ秀逸だ。元ネタはニーチェの「深遠を覗きこむとき、深遠もまたあなたを覗き込んでいるのだ」という箴言だろうが、ニーチェとGoogleという取り合わせ、僕はこういうのに弱いのだ。

また、どこの誰が言っていたのかは忘れたが、「無料で受けられるサービスにおいては、あなたはお客さんではなくて実は商品なのである」という格言めいたものがある。まこと、その通りだと思う。

Googleのように、色々なサービスでかき集めた情報から広告を表示したり、広告枠を売ったりしている企業においてもそうだし、無料のユーザを集めて、ゲーム内の世界に階層と経済を作った上で一部のユーザに金を落とさせるソーシャルゲームにしてもそうだ。

どんな企業も慈善事業でサービスを提供しているわけではないので、無料でサービスを受けるということは、何らかの形で自分の行動や情報が、サービス提供元が利益を得るための「具」になることを暗黙に受け入れるということでもある。誰もそんなことは明確には言わないが。

今の時点でGoogleの各種サービスが使えなくなったら、僕はとても困る。なにせ、Google Playのアカウントが停止されたついでにGoogle Walletが使えなくなり、Androidの有料アプリが買えなくなった程度のことでも少々困っているくらいだから。

要はGoogleにキンタマ握られているのだ。一個人のキンタマが一企業に握られる、とても恐ろしいことだ。だが、一国家や一電力会社や一異性にキンタマ握られて暮らしているのは人間には割とよくあることなので、実はあまり恐ろしいことでもないのかもしれない。

今となってはキンタマ握られているので、Googleのサービスを使い続けるために多少のお金が必要になったとしても僕は払うだろう。でも、最初にGoogleのサービスを使いはじめる時にそれが有料だったら、僕はそれを使わなかっただろう。僕はGoogleに利潤をもたらさなかっただろう。無料のGoogleサービスを使い始めて既にそれに依存している僕は、Googleに利潤をもたらすための商品になった。

そういった暗黙のねじれがあるために、無料のサービスは怖いな、と思うようになった。「これこれの金額を月額で頂きます」とはっきり言い切っているサービスの方が、なんだか安心できるような気がしている。もちろん、そのサービス提供元が僕を商品にしないという保証はなにもない。利潤を出す方針が明確に定まっている企業の方が、何か怪しげな目的にデータを流用しないような気が、なんとなく、する。それだけ。


つい先日、熱海に一泊二日の旅行に行った。

特に登録した覚えはないのだが、予約した宿に行く道中でGoogleマップを見たところ、宿の位置に「x月y日〜x月z日」という表示がされていた。多分Gmailから宿泊予約メールを拾ったのだろう。

何も心配する必要はない。ディストピアに住む人間は例外なく、そこが便利で幸せな社会だと思って暮らす。

iPhoneがいいか、Androidがいいか、みたいな話

について、僕も含めたIT系の人々はとかくたまに盛り上がりがちなのであるが、別にApple or Googleの株主であるわけでもなし、どちらかのアプリ開発に極端にパワーを傾けているわけでもないのに何故にそんな話題で盛り上がらなあかんの?というのはよく考えてみると一つの謎ではある。(ちなみにWeb系の人はなんだかんだでiPhoneが好きな人が多い気がしている。自分調べ。)

これの背景には多分、

  • 携帯電話というのはそれなりに高い買い物だし、ある程度長い時間をかけて使うものなので、「自分の使っているやつはいいものだ」とやっぱり思いたい
  • IT系の人としては、「こっちのいいプロダクトだ、なぜなら〜」みたいな目利き能力を発揮したい
  • とある案件でひどい目にあわされて髄に染みた恨みがある
  • なんとなく反対側をバカにして溜飲を下げたい

などなど様々な心理的な理由があるのだろう。

僕は長らくiPhoneユーザだったが、半年前くらいにAndroidユーザになって、いささかのオサレさとiTunes連携を失い、Googleサービスとの相性の良さを手に入れた。

別にどちらに義理があるわけでもなし、その時々でより安く使いやすいものを選んでいけばいいと思う。